彼を担当したのは3年生のセンター試験後のことでした。大阪か神戸の工学部志望ということでお伺いしたのですが、初回の授業の後、お母さんがお話があるということで別室に通されました。合格可能性のことかなと思ったのですが、話が逆で「無理して本気出して通さないでくれ」という話。点数的にキツかったのでこちらとしては楽ですが、変な話もあるもんだなと思ってました。
で、1か月半ほど直前対策をしたのですが案の定ダメで一浪が確定。4月にまた呼ばれたのですが、お母さんも本人もニコニコ。いよいよ???だったのですが、聞けば友人と河合塾の試験を受けに行ったところ、国公立医学部のクラスに入れたとのこと。そういえば御家庭は開業医、成績が悪くて本人は医学部とは言い出せず、お母さんもそれを見抜いていたようでした。
そのころ、私のほうが塾で常勤となり校舎長をやっていたので時間が合わず、朝の8時から授業をしていました。「河合塾なら国公立医学部だと偏差値70が必要」とはっぱをかけ、本人も頑張ってやっていました。おかげで出だしは上々、なかなかいい感じでした。
ところが、秋口にたるとだんだんと調子が下向きになってきました。簡単な話で、本人の学力が下がっているというより周りが上がってきているからです。通常浪人生の場合、入試が終わってから予備校での授業が始まるまで1か月から1か月半あります。そこでのんびりしてしまうと取り返すのに七夕くらいまでかかってしまいます。逆に言えば、灘・甲陽といった進学校の生徒さんの場合、3月・4月はのんびりしていても授業が始まり本気を出すと夏場にはみんな抜き去ってしまいます。彼はよく「俺らはプロペラ機やけど、彼らはジェット機やから油断するとすぐ抜かれる」と言ってました。また、現役生の追い上げもあります。現役生ははじめがボロボロな分、勉強が追い付いてくるとと偏差値の上がりが早いので、相対的に浪人生の偏差値は下がってきてしまいます。
特に彼の場合、教室で財布が盗まれるようなアクシデントがあったりもして気分的に落ち込んでいきました。お母さん曰く「2浪の影がヒタヒタと近づいてきた」感じでした。あるとき彼がお母さんに相談したらしく、国公立は難しい、2浪するかもしれないと伝えたそうです。そのときお母さんが「なら、私立でいいじゃないの?」と一言。本人が「いいの?」というと、お母さんやおらに押入れを開けたそうです。そこには私立医学部の過去問集がズラリ、10数冊買ってあったそうです。
これでまた奮起して、過去問を分野別に分けてしらみつぶしにおさえていきました。目標校は家から通えるところで兵医に設定しました。ただ、文字通りのしらみつぶしを数物化すべてで行っていくとなると時間が全然足りず、空き時間があればすべて割り当てていったのですが、それでも時間が足りず、後の生徒の授業時間に食い込んできます。さすがにそろそろ行かないといけないというと、次の生徒は何年生かと聞いてきます。高2と伝えると「そちらはまだ1年あるやないか、こちらは背水の陣どころかすでに水につかってる。夜の10時にしてもらえ。」という始末。
また、過去問を自習室に忘れてしまったときはお母さんがこれから高速飛ばして梅田で買ってくる、片道20分で走ります!と出かけようとするし、すさまじい追い込みでした。
ただ、やっぱり医学部は難しい。結果はジェットコースター状態でした。センター利用で帝京を出してあったのですが、理数の2科目満点だけど英語が9割で結局不合格、落ち込んでいたら同じ帝京が一般入試で合格、喜んでいたら本命の兵医で不合格、がっくりしていたら予想外に近大が合格、という具合で数日単位で上がったり下がったり。医学部は倍率が高いのでささいなことが合否の分かれ目になります。なのでよほどの人でない限り、本命校に対して上位校と下位校を受験して幅を持たせておかなくては何が起こるかわかりません。彼の場合は結果がいいように出て本当によかったです。