No.2 地方での必要性を痛感しました

その依頼があったのは年明けのことでした。家庭教師センターから、数Ⅲがわからない生徒がいるので行ってほしいと言われたのですが、さすがに他の受験生の追い込み時期だったのでもう少し待って入試が終わってから行くことになりました。で、場所を聞くと実家は舞鶴だけど京都の北山のほうにも家があるので生徒さんが週末に通ってくるとのこと、そして何年生かと聞くと「この時期で数Ⅲやから2年生でしょう」とのこと、とすると受験まであと1年、受験生に毎週末舞鶴から京都市内に通っていただくのも負担が大きいししかも女の子、ちょっと遠いけどこちらからお伺いしましょうということになり、二次試験の終わった3月早々にご自宅に伺いました。舞鶴市内は路肩のあちこちにまだ雪が残っていました。ところが行って話をするとこれがなんと1年生。おいおい、これから2年通うのかと思ったけどもう仕方ありません。がんばって週2回伺うことにしました。その頃はまだ高速道路が開通してなかったこともあり、特に夜中12時を回って舞鶴で軍艦の黒い影を見、霧のなか丹波山地を縦走するのはなかなかの経験でした。
さて、生徒さんですが、これがよくできました。福知山の高校に通っておられたのですが、他に府の北部にはめぼしい教育機関がありません。にもかかわらず偏差値は70をゆうに超えてました。聞くと講習とかの折に特急列車で京都まで来て授業をかためてとって聞くとのこと、すごく苦労されていたんだなと思いました。そこで数学は大学への数学、物理は難系、化学は新演習から特講テキストを用いてやっていきました。よく努力されるので、成績はうなぎのぼりで、河合の模試(学校で受けます)は常に80超え、駿台の模試でも理Ⅲ・京医・阪医・慶應、どこでもOKという感じでした。授業ではよく大数の学コンの問題を解いていましたが、よく解答を送って景品のバインダー等をもらっていたそうです。
そういうわけで、受験校については特に学力的に制約はなく、あとは自由に決めてくださいという感じでした。本人は「私は臨床がしたいから阪医にする」というわけで阪大に決まりました。
入試が近づくと、お父さんのほうから「学校休め休め」と言われるとよくこぼしてました。聞けばお父さんもその学校出身とのこと、自分はよく校庭のフェンスの向こう側に自転車を置いてよく脱走していたらしいです。受験という意味での学校の限界もよくわかっておられたからだと思うのですが、いやはや。まぁ現役合格は見えていたので、2学期以降は休んでも調査書に記載されることはないので特にいいのですが、そこまでしなくても十分すぎる学力があったのでそこはぼちぼちにということで落ち着きました。
というわけで、入試に関しては何の問題もなくするっと通過していきました。これだけ何の心配もない生徒さんも珍しかったです。
この件を通じて、地方での塾・予備校等の教育機関の貧弱さを実感をもって体験しました。それから、地方での依頼をなるべく受けるようにしました。家庭教師なので大きなことはできませんが、少しでも地理的な制約のために教育機会まで制限されないようにと努力していきたいと思ったからです。ただ、私の車の走行距離が伸びて買い替えサイクルが2年を切ってしまっているのが悩みの種ですが(笑)