No.1 手のかかる生徒でした…

彼を担当したのは高3の年末も押し迫った頃でした。
前の家庭教師とトラブルがあったらしくその代わりで伺ったのですが、入試の直前での講師交代は通常ロクなことなく、これは大変だぞと覚悟を決めて行きました。
案の定、お父さんからは開口一番、「うちは歯医者や! 歯医者ついでくれたらそれでいいんや! 俺の息子やからデキが悪いのはわかってる、それを医学部というてどないしてくれるんや! お前のところの家庭教師センターに今までいくら払ったか、外車何台分や!」と苦情のオンパレード、はじめはわけがわからなかったのですが、どうやらご家庭は歯学部に行って欲しかった(歯科医院を経営されていて彼は長男でした)のに家庭教師が医学部受験をたきつけて本人もその気になったものの学力が伴わず煮詰まってしまっているようでした。
何はともあれ、生徒さんと面談してみると、ご本人曰く信州大学医学部を志望とのこと、なぜかと聞けば二次科目が数学だけ(当時)だからという返事。これはうなってしまいました。通常科目数が少ないとその科目が非常に得意な生徒が受けてくるので、特に現役の医学部受験ではよほど強くない限り避けるのが定石です。それではということで、一度問題を解いてもらいましょうということで、低位の私立の入試問題を解いてもらったのですが、これが得点率10%~20%… これでは手のほどこしようがない、1から着実に固めなおすしかありません。
次回から彼にはひたすら青チャートを解いてもらいました。センターや私学入試の対策もこれだけ学力が低いとするだけ時間のムダ、そこは適当にあしらっていると、彼が「なぜこの時期に赤本ではなく青い本を解いているのか?」と聞かれましたが、まぁまぁといなしながらどっさり解いてもらいました。
ご家庭からは「一浪で医学部か歯学部」といわれていたので、現状の学力を考えると私立の歯学部が落としどころ、医学部は必死でやっても低位の私立で届くかどうか、あとはやるだけやってそのときの運任せかなと思いました。
駿台でのクラスは案の定下のクラス、ここからは正直なかなか通りません。それでも、やる気だけは十分あったので、まずは私学に絞り、予備校の進度をペースメイクにして数学はチャート、理科は傍用問題集から重要問題集で補充して着実におさえていきました。
そのかいあって、前期が終わるころには偏差値もやっと50を超え、歯学部でC判定が出るようになってきました。
ところが、文字通り休みなしで一日12~14時間ひたすら勉強し続けた反動がきたのか、判定が出始めてほっとしたのか、そこで勉強がぱったり止まってしまいました。それまで毎回チェックシートに一日やった内容を書いてもらって授業のたびに確認していたのですが、これが白紙状態、これはまずいと思って、毎日やったことをFAXで流せと言ってもなかなか送らない、仕方がないのでメールや電話で矢の催促(あとで言ってましたが、これが俺には呪いのメールだった、とのことです)、授業でなんぼ説教しても暖簾に腕押し状態です。これは、学力の低い方が特に医学部のような難関大学を目指すときに起こりがちなことで、正直あまり詰めた勉強をした経験がないので、ある程度まで学力があがったときにこれでなんとかなると思って、それまでしんどかった分息切れして気が抜けてしまいます。ところが実際は厳しいもので、道半ばで気を抜いたらあっというまに元の木阿弥になってしまいます。
このようなことが1か月くらい続いたでしょうか、あるとき彼に今考えている受験校を書いてもらいました。紙の右半分に上から順番に書いてもらったのですが、すべて医学部ばかり。そこで、「歯学部は受けないんか?」と聞くと下に何校か付け加えました。そこで、私は医学部と歯学部の間を横線で区切り、さらに歯学部を関西とその他地域との間で線を引いて3つに分けてから紙の左側に上から順番に「夢」「本命」「滑り止め」とでかでかと書きました。つまり、本人が当初書いた医学部をすべて「夢」としたのでさすがに怒りましたが、そこでやっと気がついたみたいで、勉強を再開してくれました。ただこれはよほどインパクトが大きかったらしく、具体的に受験校を決めるときお父さんがやってきて、「無理でもいいから医学部受けさせてやってほしい」と頼まれたことを覚えています。
その後もすったもんだありましたが、結局その紙どおりになり「本命」の歯学部に落ち着きました。本人曰くここなら高校に推薦枠があったとのこと、医学部は大変だということがよくわかりましたと言ってました。結局進路指導のミスを1年かけて元のレールに戻した感じでした。